「月島もんじゃ焼」のルーツは、子供たちの
“おやつ”だった・・・!
明治中期、隅田川河口の中州を埋め立てた東京湾埋立1号地として誕生した町、月島。その後、三軒長屋が密集する、いかにも下町らしい街並みに発展しました。当時の月島は子供が多く、とりわけ子供たちでにぎわっていたのが、路地の駄菓子屋です。その駄菓子屋の店の奥に鉄板の焼台を置き、メリケン粉(小麦粉)を溶いて薄く焼いたものに醤油や蜜をつけて食べさせたのが、「もんじゃ焼」の始まりだとか。そして洋食が流行し、ウスターソースが登場すると、「もんじゃ焼」の味付けはソースが基本に。さらに年月を経て、キャベツ・切りイカ・あげ玉などを加えるようになったのです。また「もんじゃ焼」の語源は、子供たちが鉄板に文字を書いて焼いたことから「文字焼」と呼ばれていたものが、いつのまにか「もんじゃ焼」になったもの、とも言われています。
月島の風景
西仲通り商店街の路地裏

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